当時、ほぼ毎日更新していたnoteでは、入院の記事の次の更新は、11月22日の退院3日目でした。入院の様子を毎日更新する予定でしたが、どうしても生々しくなってしまうので、書けませんでした。

今は元気になったので、当時のメモを見返しながら、手術や入院の様子を時系列で報告します。今回は、手術当日の様子です。

※2022年11月10日のお話しです。

手術室への持ち物

昨日の記事で、書き忘れたのですが、荷物のチェックがありました。手術室に持って行くものとして、腹帯、T字帯、ショーツ、ストロー付きコップ、ナプキンを袋に入れました。名前は書いてありましたが、太いマジックで大きく書き直すように指示されました。スマホは部屋の鍵付き引き出しに入れ、手術室には持ち込み禁止でした。どうせ持ち込んでも使えなかったでしょうけど。

術前

前日に渡されたOS-1。朝7時までに飲み切りの指示有り。

6:00 バイタル測定
7:15 浣腸。2分ガマン、、、できなかった
8:00 病室に主治医が来る。ホッとする
8:30 弾性ストッキング着用。血栓予防のため
8:50 オペ室へ歩いて移動。看護助士さんと一緒に
9:00 オペ室へ。麻酔科医、看護師、その他誰⁈というほど、7~8人?近くいて驚く。私一人のために申し訳なく感じる。主治医はいない。麻酔の説明があって、あっという間に落ちる

術後

矢島さん、終わりましたよ

という優しい声で目が覚めました。ここはどこだっけ?と思ったのは一瞬のことで、パチパチ、ポポポと、身体の皮膚が引っ張られながら、くっついていた機材が外されていきます。「もっとていねいに外してもらえないかしら」と思いながら、手術が終わったと理解しました。同時に、「痛い!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」。痛みがあまりにも強く、この記事を「痛い」という文字で埋め尽くしたいくらいでした。ムリ、ムリ、ムリ。グアアアアアアアアアア。圧倒的に人生で一番の痛みでした。

声にならない声で「すみません、痛いです」と伝えると、看護師さんが「痛かったら押してください」と痛み止めのボタンを渡してくれました。そのボタンを押すと点滴で痛み止めが投与されるらしく、時間で量が決まっているようでした。声が出た。そんなことにちょっとうれしくなりながら、「カチカチ」と連打しました。「カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ」。出てない。絶対出てない。と分かっても、ボタンを押すと気休めになるから不思議です。

今何時なのか、手術がどうだったのか、まるでわかりません。ただ痛いだけでした。

「痛い痛い」。ウーウーとうなっていると、主治医がやってきました。いつも通り、めっちゃ笑顔です。その顔を見ただけで、痛みがスーッとひいていくように感じました。

10時間におよぶ大手術

主治医はニコニコしながら、話してくれました。

「痛いでしょ(笑) 手術はね、無事大成功ですよ。腹膜播種はなく、右側の卵巣は破裂していました。中をごっそり取れるだけ取りました。キレイに取れましたよ。リンパ節郭清もしているので、傷も大きいから痛いと思う。とにかく、24時間がんばってね。そこを越えれば楽になるから」

そんなような言葉だったと思います。主治医はサバサバと言い放ち、颯爽と帰って行きました。決して突き放すようでもなく、やさしさを感じました。午後8時を過ぎていたようです。がんばった、先生が。そんな大手術の後なのに、何だあの笑顔は。本当に救われるようでした。

主治医の背中が見えなくなると、急にまた痛みがやってきました。24時間がんばれ、今度は私が。そう言い聞かせていました。でも、1秒が長い。視線の先にある大きな時計の秒針が動かない。時間が止まっているのではないかと感じるほど、長い長い夜が続きました。

※後に教えて頂いた手術内容は、こちらです。『準広汎子宮全摘手術、両側付属器切除、大網切除、骨盤内傍大動脈リンパ節郭清』

激痛は忘れるようになっている

この記事にいきなりたどり着いて、これから手術を迎える方は怖くなるかもしれませんが、安心してください。

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この記事にもある通り、痛かったことは覚えていても、どんな痛みだったかは忘れてしまうものです。

手術を経験したのは私だけでなく、多くの先輩方も通ってきた道です。昔は薬も今ほど良くなかったので、もっと痛かったかもしれません。痛みの感じ方は人それぞれですし、私が特に痛みに弱いだけかもしれません。また、手術の内容も人によって違いますので、あくまで私の個人的な感想として受け取ってください。

さて、痛みの中過ごした長い長い夜でしたが、朝は私の所にも訪れてくれました。